サイレン事典 ら行

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ライター
火をつけるための道具。小型のものは主に煙草に着火するために用いられ、柄の長いものはコンロなどの奥まった場所にあるバーナーや、花火などに着火するために使われる。
燃料によってオイルライターやガスライターなどに分類され、オイルライターはその名の通り、燃料としてオイル(主に精製度を高めた灯油など)が用いられ、毛細管現象によって芯まで上がってきた液体のオイルが揮発する事によって燃料となる。適切な揮発機構を持つオイルライターは、揮発機構内で気化した燃料を適度に含む空気が渦になって留まるため、強風の中でも高い着火性を持つ。「Zippo」が有名。
対してガスライターには燃料として主にブタンガスが使用されている。気体のブタンは体積が大きく、空気に混じってしまうが、高圧下では液体となるため、ライターには利用しやすい物質といえる。ただしガスライターの多くはその燃料の性質上、可燃気体のガス噴出量と周辺空気の混合比率が適切な状態で燃焼がおこるため、ライター周辺の風が強いと本来設計された位置で点火用の火花を散らしても発火点に達せず、着火しない事がある。 この点を改良したものとして、ガスの噴出圧力を利用して強制的に混合気を点火チャンバー内に充填するターボライターがある。また風防などが付属していて、野外の墓地で線香などに着火することを主眼としたものもある。
ライターには燃料が注入できるものとできないものがあり、前者は注入式ライターと呼び、燃料がなくなっても注入すればまた使用できる。対して後者は使い捨てライター、もしくはディスポータブルライターと呼び、使用燃料はガスに限られる。
ライターの点火機構としてもっとも広く用いられているものは、オイルライター・ガスライターを問わず、ヤスリ状の回転ドラムに「フリント」と呼ばれる、直径2mm高さ5mm程度の小さな消耗品を押し付けて、ドラムを勢い良く回転させ、その摩擦で火花を散らして発火させるフリントライターである。 他にも、衝撃を与えると高電圧を発生する圧電装置を使い、火花放電で燃料のガスに着火するという電子ライターや、着火に適した混合ガスを精製し、燃焼筒内部で完全燃焼させる内燃ライターなどがある。

須田恭也は蛇ノ首谷の吊り橋近くでライターを拾い、それを使って宮田の車に引火した。
また高遠玲子は廃倉庫で拾ったライターで灯篭に火をともし、また給油車のガソリンに点火して屍人とともに自爆した。
そして前田隆信は廃屋の客間にあるテーブルライターで煙草に火をつけようとしているが、燃料が切れているのか何度やっても点火できなかった。
関連須田恭也高遠玲子前田隆信

ライト
電源の無い所で用いるための携帯用照明器具。ライトを所持していれば□ボタンで点灯・消灯ができる。ライトを点灯すると暗い場所が見やすくなり銃の命中率も上がるが、屍人に見つかりやすくなり屍人の銃の命中率も上がってしまう。
ゲーム中に出てくるライトには以下の2種類があるが、照度などに違いはない。
1.非常用の懐中電灯。最初から羽生蛇村にいた人たちが所持している。屍人が所持しているものもこちらの方であると思われる。
2.アウトドア用の小型ビームライト。羽生蛇村の外から来た人たちが所持していた。

楽園(らくえん)
楽しみが満ち溢れるとされる理想郷のこと。キリスト教におけるエデンの園が有名。
眞魚教では、血のように赤い海が広がり、地面いっぱいに月下奇人が咲き乱れた、永遠の命が約束されている世界を楽園であり神の世界としていた。これはそのまま常世であるいんふぇるののことを意味しており、堕辰子の導きによってたどり着けると眞魚教では信じられた。
関連いんふぇるの眞魚教

「楽園の門が開かれる」(らくえん・の・もん・が・ひらかれる)
第3日0:00にて、堕辰子復活の儀式に行う際に言った八尾比沙子の言葉。
眞魚教では堕辰子の復活によって楽園であるいんふぇるのへ導かれるとされてきたため、このようなことを言ったのであろう。
関連楽園いんふぇるの八尾比沙子堕辰子

落書き(らくがき)
文字や絵を面白半分や徒らに書き記す行為、またはその行為によって記されたもの。多くの場合において第三者にしてみれば意味のないものであるが、古いものでは歴史学や民俗学などにおいて、当時の風俗や文化を知る上で大きな手掛かりとなる場合もある。
ノートや本の端などに書かれるものは他人のものでない限り問題とされないが、中には歴史的建造物に来訪者が落書きをしたり、天然記念物や自然の景観を損なわせてしまうような落書きをする場合もあり問題視されている。現代ではストリートアートやタギングなどのような、美術様式化したものや行為自体が何等かのファッションスタイル化した物がある一方、便所の落書きに代表される雑多な物も見られる。ただ公共施設や他人の家屋、店舗などに勝手にこれらを書き入れる行為は、器物損壊の範疇で扱われたり、都市の景観を損なうとして迷惑行為と考えられたりする。

1.大字粗戸に落ちていた、トタン板の切れ端に描かれた奇妙な図形の落書き。「こっくりさん」で用いられる書式に、26文字の屍人文字が書かれている。
2.安野依子の大学ノートに描かれていた落書き。竹内多聞と思われる人物の似顔絵が、かなり美化されて描かれている。
3.→欄干の傷跡
4.田堀の廃屋の卓袱台に書かれた落書き。前田知子が「ずっとずっといっしょ」と屍人文字で書いたものであり、離れ離れになった家族が再び仲良く暮らせることに対する気持ちが表れている。
5.同じく田堀の廃屋で前田知子が床にしていた落書き。これが何を表しているのかは不明。
6.旧宮田医院の隔離室の壁に描かれていた落書き。壁一面に無数の目を描いたうえで、それを偏執狂的なまでにその目を×で潰していったもの。この「目を潰す」という行為には、突然自分の意志とは関係なしに他人の視界や聴覚を共有してしまうことに対する不快と恐怖が表されている。これを描いたのは志村貴文か?
関連屍人文字大学ノート安野依子竹内多聞
卓袱台廃屋前田知子隔離室志村貴文

ラジオ
音声や音楽などの音響を、電波を使って不特定多数のために放送されるラジオ放送を受信する機械のこと。ラジオ放送のことをさす場合もある。
テレビとは違って、送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機からの放送も可能である。また、受信機の構造も簡単で、電波が受信できれば、いつでもどこでも放送を聞くことができる。この特性を生かして、災害時の情報伝達手段として重要視されるようになっている。災害時でなくても、移動時など、屋外での情報収集の手段としてもしばしば使われる。
基本的な仕組みとして、ラジオ局では搬送波と呼ばれる周波数の高い電波に音声や音楽などの音波信号を乗せて配信される。その搬送波は各ラジオ局等から配信され、ラジオ受信機のアンテナにはさまざまな周波数の電波が捕らえられる。そして捕らえられた電波は、その電波と同じ周波数の電流をアンテナに生じさせる。この生じたさまざまな周波数の電流の中からコイルとコンデンサーで、聞きたいラジオ放送の周波数の電流を選出する。この選出する作業を同調と言う。そして同調によって選び出された電流が音の波の形をした電流の波(声の信号)に変えられ(検波という)、スピーカーやイヤホンで電流の波が音声や音楽などに変えられて聴き取ることが可能となる。
同調(チューニング)方法によってはアナログ式のものとデジタル式のものに分類され、アナログ式では針や目盛りで局を探すのに対し、デジタル式では複数の基準周波数をもとに、一定ステップの周波数を合成して同調回路が構成され、アナログ式よりも短時間でチューニングすることができる。
戦前から戦後にかけては真空管が用いられた大型のものが使われたが、1960年代から1970年代前半にかけてトランジスタが発明され、これを用いたトランジスタラジオの商品化により、ラジオは一家に一台という状況から一人に一台が持つものとなった。トランジスタラジオの登場によって真空管を用いたラジオは急速に衰退していったが、音質が良いなど理由から真空管のラジオを好む人は少なくない。
最近ではインターネットラジオが登場したことにより、パソコンなども一種のラジオ受信機と見ることができる。

竹内多聞は、大字粗戸の吉村家で入手した壊れたラジオを井戸にしかけて屍人を誘導し、屍人を井戸の中に落とした。
関連竹内多聞

ラジカセ
ラジオカセットレコーダーの一般名称で、テープレコーダーにラジオチューナーを内蔵した音響機器のこと。
日本では日立製作所が1963年にオープンリール式テープレコーダーにトランジスタラジオを搭載した「ベルリーナ」が最初と言われている。その後、コンパクトカセットが登場し、1970年代には各家電メーカーが相次いで商品を投入した。1970年代後半から1980年代前半には「ラテカセ」と呼ばれる、ラジオ、テレビ、 カセットデッキの3機能が一体となったものも発売された。そして1986年頃からはCDプレイヤーを搭載した「CDラジカセ」が登場し、当時はどのメーカーも大型の機種がメインだったため、そのころのCDラジカセはマニアの間では「バブルラジカセ」とも呼ばれ根強い人気を誇っている。1995年頃からはカセットの代わりにMDデッキを搭載した「MDシステム」も登場しているが、ここまでくるとラジカセと呼べるかどうか疑問である。
古いものの多くにはテープカウンター(またはタイムカウンター)と呼ばれる機能がついており、テープが再生している間はカウンターが回り続けるが、テープカウンター付近にあるリセットボタンを押すことでカウンターを「000」に戻すことができ、録音・再生し始めたときにリセットボタンを押すことによってテープの頭出しが比較的容易にできるようになっている。
石川家にあるラジカセのテープには、テープカウンターを「0705」と合わせたところに倉庫の鍵の番号が録音されており、それによって牧野慶は倉庫の鍵を開けることが可能となった。なお、テープの音声は外山Dによるもの。
関連牧野慶

ラチェットスパナ
ラチェットと呼ばれる、のこぎり歯状の歯をもった歯車と逆転止めの爪との組み合わせによって、動作方向を一方に制限するために用いられる機構がついたスパナで、効率よくボルトやナットを締めたり緩めたりできる。どちらかというとラチェットレンチという名称の方が広く使われている。
ラチェットスパナだけでは使用することはできず、四角の差込み口(差込み角)にソケット(こま)をつけることによってはじめて道具として用いることができる。ソケットにはさまざまなサイズのものがあり、ボルト・ナットの大きさによって変えなければならない。
中には持ち手の先端が尖っている「シノ」と呼ばれる部分がついているものがあるが、この「シノ」は鳶職の足場組みや番線締めなどに用いられ、土木建設関連産業にとっては必需品となっている。

宮田司郎は自分の車のトランクにあったラチェットスパナを武器として使用した。
関連宮田司郎

欄干の傷跡(らんかん・の・きずあと)
蛇ノ首谷にある戻り橋の欄干に、幼少時代の竹内多聞がつけた傷跡。「たけうちたもん 7さい」と書かれている。
羽生蛇村に土砂災害が起きた1976年に刻まれたこの傷跡は、依子に竹内が「自分が幼少期に羽生蛇村で育った」ということを告白するきっかけとなっている。
関連竹内多聞戻り橋

『ランデブー』
東エリの曲。田堀の廃屋の子供部屋に、この曲のポスターが貼られている。
関連東エリ廃屋

ランドセル
小学生が通学時に教科書、ノートなどを入れて背中に背負う学校鞄のこと。
素材は牛革が多いが、軽さ、丈夫さ、手入れの簡単さ、そして価格が低廉なことから、人工皮革のクラリーノ製が主流になりつつある。またデザインも従来からの学習院型以外にも、上蓋の半被せタイプの縦型や横型のものが登場している。色は黒、赤が主流であったが、「男子は黒、女子は赤」という既成概念が崩れてきたためか、ピンク、茶、紺、緑、青、またそれ以外のカラフルな色も発売されている。しかし、これらのカラーランドセルは、まだ需要は限られているようで、ピンクと濃紺は比較的採用されているが、他の色は都市部の学校以外ではほとんど見かけない。また、一部の私立小学校では男女とも黒や茶色(に箔や型押しの校章入り)のランドセルを指定している所がある。
通学かばんとしての利用は、1885(明治18)年、学習院が馬車や人力車での通学を禁じた際、ランドセルに学用品や弁当などを入れて通学させたことから始まり、徐々に浸透して今のような形になったという説が有力である。そしてその2年後の1887(明治20)年、内閣総理大臣であった伊藤博文が、皇太子(大正天皇)の学習院初等科入学を祝し、箱型で革製の頑丈なランドセルを特別に作らせ献上したものが、現在のランドセルの原型であると言われ、昭和30年代以降になって全国の小学校にランドセルが普及した。
ランドセルという名前は、江戸時代に幕府が洋式軍隊を導入する際に、兵士の背嚢(はいのう)として輸入した物のオランダ語の呼び名「ransel(ランセル)」がなまって「ランドセル」になったものだといわれる。
なお、最近ではアメリカの女子大生が日本のランドセルを好んで使っているという話もあり、日本国内でも、半被せタイプのランドセルは専門学校の女生徒の通学用や、一部のOLのファッションバッグとしての使用例も見られるらしい。

吉川菜美子は失踪時に赤いランドセルを背負っており、それには図書室から借りていた『羽生蛇村民話集』や羽生蛇トライアングルなども入っていた。そのランドセルは美浜奈保子の初日19:00の東3号斜坑で見つけることができる。
関連吉川菜美子羽生蛇村民話集羽生蛇トライアングル

理尾や丹(りびやたん)
羽生蛇村に伝わる聖典「天地救之伝」に書かれている大海龍の伝承。海の底から現れ、天を曇らせ光を発するという。
これは堕辰子が降臨する前兆として観測される「光柱現象」を模している。
牧野は「天を曇らす光」である理尾や丹を見て、天罰が下された=儀式が失敗したことを知り、絶望する。
名前の元ネタは旧約聖書などに登場する海龍リバイアサン。
「理尾やたん」とか「理尾やタン」とか書くと萌えキャラっぽくなり、牧野の第2日6時がちょっと面白くなる。
関連天地救之伝牧野慶光柱現象

硫酸(りゅうさん)
三酸化硫黄 (SO3) を水と反応させて得られる無色で粘性のある酸性の液体。化学式 H2SO4で示される。分子量98.08。
濃度の低い硫酸(大体、質量パーセント濃度が90%未満)を希硫酸という。希硫酸は強酸性であり、酸化力や脱水作用はない。一方、濃度の高い硫酸(大体、質量パーセント濃度が90%以上)を濃硫酸といい、酸としての性質は極めて弱く、強酸性はない。しかし、不揮発性のため吸湿性と強い脱水作用があり、有機物から水素と酸素を水の割合で引き抜くため、炭素が遊離される。硫酸が皮膚に付くと火傷を起こすのは、この脱水作用と発熱のためである。濃硫酸を加熱したものを熱濃硫酸(ねつのうりゅうさん)といい、290℃以上では濃硫酸は水と三酸化硫黄に分解し、三酸化硫黄は酸化力を持つ。そのため熱濃硫酸には強い酸化力があり、酸化剤として用いられる。
融点は10.35度、沸点は約322℃。 濃度98%の硫酸の融点は3度、比重は1.84(15度)。204度、98.33%の濃度で水と三酸化硫黄の分圧が等しくなるため、不揮発性ではあるが、温度を上げるだけではこれ以上濃度を高めることはできない。濃度が高くなるにつれ、油状になる。
硫酸はさまざまな肥料、繊維、薬品の製造に不可欠であるため、硫酸の生産能力は、一国の化学産業の指標となっている。

宮田司郎は、恩田理沙に襲い掛かる恩田美奈を撃退するために、硫酸の入ったビンを投げつけている。
関連宮田司郎恩田美奈

「了解、射殺します・・・」(りょうかい・しゃさつ・します)
石田徹雄が、最初に須田恭也を襲った際に呟いた言葉。
別に誰かに報告しているというわけではなく、ただの独り言である。
関連石田徹雄

猟師(りょうし)
動物とくに鳥獣を捕獲する職業。またはそれを生業とする人。狩猟した動物の肉や毛皮などを卸したり、またはみずから肉を食すことで生活する。志村晃はこれを生業としていた。
日本では戦後までには猟師を職業としている者が多くいたが、現在では自然保護、動物愛護、住民の安全性の確保の必要性から、狩猟に使う道具、期間、場所が厳しく制限されているためか、猟師を専業としている者はほとんど絶えてしまっている。
山という、人が普段入らない"一種の異界"で行われる職業であるため、不思議な体験をした者としてしばしば民話などに登場する。
海に出て魚などを捕獲する職業も一種の猟師であるが、この場合は「漁師」と書いて区別される。
関連志村晃

猟銃(りょうじゅう)
狩猟に用いられる銃。散弾銃またはライフル銃のことをさすが、空気銃を含めて「猟銃等」と言い表すこともある。
猟銃は銃砲刀剣類所持等取締法により基本的に所持が禁止されているが、各都道府県公安委員会の許可を受けることにより所持することができる。ただし狩猟、標的射撃、有害鳥獣駆除以外の目的で猟銃を所持することはできない。鑑賞、コレクション、遺品などの理由では所持許可の申請は認められない。
猟銃の所持資格は、精神病等の病気を持っていたり、凶悪な前科等がなければ、空気銃については満18歳以上、散弾銃については満20歳以上の者でなければならない。ただし(財)日本体育協会の推薦を得れば猟銃は18歳、空気銃は14歳から所持できる。なお、ライフル銃を所持するためには、原則として散弾銃の10年以上の所持実績が必要となる。
猟銃等許可申請にあたってはあらかじめ猟銃等講習会を受講し、射撃教習資格認定の申請をして射撃教習を受講しなければならない(空気銃の場合は射撃教習は不要)。
猟銃等の所持が許可されたら、許可を受けた日から3ヶ月以内に銃を所持しなかった場合、その許可は失効する。猟銃等を所持することとなった日から14日以内に、所持許可にかかる銃砲を警察署に持参して、当該猟銃等を所持することにあたっての許可を受けなければならない。
銃の所持許可は、原則として所持許可を受けた日から3回目の誕生日まで有効である。誕生日を過ぎると失効する。更新は3回目の誕生日の2ヶ月前から15日前までの間の「更新申請期間」内に更新申請をしなければならない。
猟銃等の所持・保管・使用などに関しては、さまざまな規定があるが割愛する。詳細を知りたい方は、(社)日本猟用資材工業会のホームページにある、「銃砲所持許可への道のり」の項を参照のこと。

1.志村晃が所持していた狩猟用村田銃
2.須田恭也が屍人ノ巣で拾った狩猟用狙撃銃
3.神代淳が所持していた猟銃
4.屍人が所持していた猟銃
関連志村晃須田恭也神代淳猟銃屍人

猟銃屍人(りょうじゅう・しびと)
猟銃を所持している半屍人または羽根屍人。
恐ろしく高い命中率と殺傷力を誇るため、『SIREN』というゲームの中で一番厄介な存在である。
その命中率ゆえにゴルゴ屍人とも呼ばれている。
登場人物では志村晃が猟銃屍人となっている。
関連志村晃猟銃ゴルゴ屍人

履歴書(りれき・しょ)
学業や職業の経歴など、人物の状況を規定の書式で記した書類のこと。
就職試験で用いられるほか、学歴や職歴によって給与や資格を決まる手続きでは、それを証明する各種の書類とともに提出される。一般には、市販されている履歴書用紙に必要事項を記入することで作成される。
その内容が採用者の選考の参考資料になるとされる就職活動などでは、何十枚もの履歴書を自筆で丁寧に書く場合があり、書き損じた場合は新しい用紙に書き直さなければならないため、非常に多くの労力を必要とする。選考試験の目的ではなく、単なる経歴の証明で自筆である必要がなければ、パソコンなどで作成することも可能である。基本的に上半身を写した証明写真を貼付し、印鑑を必要とする場合もある。
基本的な記載事項は、名前(ふりがな)、性別、生年月日・満年齢、郵便番号・現住所、電話番号・連絡先、学歴・職歴、資格・免許、志望の動機、本人の希望(給料、職種、勤務時間、勤務地など)、通勤時間、扶養家族(配偶者除く)の人数、扶養義務の有無、配偶者の有無、本人が未成年の場合は、保護者の氏名・郵便番号・住所・電話番号など。
最近では企業側が知りたい情報を多く書かせたいなどの理由から、市販の履歴書を使わせずに、企業から配布されるエントリーシートと呼ばれるものを使用させることがある。
原則的に真実を記載するべきであるが、中には真実を偽る者もいる。その偽っていたことが発覚し、その虚偽の内容が採用に重大な影響を与えていた場合(たとえば学歴詐称)、採用を取り消されることもある。

美浜奈保子の履歴書は、少なくとも生年月日と出身地に関して虚偽の記載が見られる。
関連美浜奈保子

リロード
銃に弾丸を再装填すること。
『SIREN』ではリストメニューで選択するほか、一定時間何の行動もしないと自動的にリロードが行われる。
宮田司郎のリロードアクションは妙に格好良いが、あれでは装填した弾丸がこぼれてしまうという批判もある。

ループ
異界は"時間と空間が閉じられた世界"であるため、異界に引きずり込まれた人たちは、何度も同じ出来事を強制的に繰り返させられている。しかしまったく同じことを繰り返しているわけではなく、時には違う行動を取っている。その何気なく取った行動が、違う人物の行動に影響を与えていく。そしてそうした行動が積み重なっていくことで、最終的には堕辰子の首を落とし、春海が異界から抜け出せるというストーリーが生み出される。

霊安室(れいあん・しつ)
遺体を安置するために設けられた部屋のこと。「安置室」と呼ぶこともある。病院や警察署のほか、葬儀屋、火葬場、斎場などにも霊安室が設置されていることが多い。病院では一般的に地下や裏口近くに設置されている。そのため薄暗くて気味が悪いというイメージが持たれているが、最近では明るく設計されているところも少なくない。
旧宮田医院の地下にも霊安室があり、そこにある棺桶の中には、屍人としてさまようことを拒絶するために全身を拘束させた志村晃一がいる。
関連旧宮田医院志村晃一

レコード
円盤状の樹脂等に凹凸を刻むことで音楽などの音響情報を記録したメディアの一種。アナログディスクレコードの略称。1980年代まで生産された。
音の再生にはレコードプレーヤーとレコード針を使用する。レコードの回転とともに、そのレコードに刻まれた溝の凹凸が針に振動を与え、その振動が音に変換されてスピーカーから発せられる。近年では、針ではなくレーザーを用いて、CDの様に非接触再生もできる。
レコード盤の形状によってSP盤、LP盤、EP盤、ドーナツ盤などに分類される。
SP盤(Standard Playing)は、初期に開発されていた毎分78回転のシェラック製レコードで、片面の演奏時間は2〜5分程度と短い。1955年頃まで製造されていた。
LP盤(Long Playing)は、毎分33回転3分の1(高音質向けのものは毎分45回転)のビニール製レコードで、長時間記録できるので、クラシック曲の収録やアルバムとして使用されていた。
EP盤(Extended Plaing)は、毎分45回転、直系7インチのビニール製のレコード。もともとはSPの代替メディアとして登場したもので、音溝は1インチ240本以上で、片面7分以上に演奏時間が延長されている。当初は両面で3〜4曲収録し複数枚をバインダーでとじたアルバムとして流通したが、LP盤に比べて一面あたりの記録時間が短いなどのデメリットから主にシングル盤(両面2曲)として使用されることとなった。下記のドーナツ盤と混同されることが多く、ドーナツ盤を含めた45回転盤をEPと称する場合もある。
ドーナツ盤は、毎分45回転、直系7インチのビニール製のレコードで、穴が通常のレコードよりも大きいためこのように呼ばれる。穴の直径が大きいのはオートチェンジャー(ジュークボックス)で使えるようにするためで、必要ならば折り取ることができるLPと同じ大きさの穴がついたものもあった。
また、ソノシート(フォトシート)と呼ばれるごく薄い塩化ビニルのフィルムでできたレコードもあり、音質は悪いが手軽で安価なため、昔の雑誌の付録としてしばしば綴じ込んであった。
レコードには両面に音楽などを記録することができ、レコードの表面、裏面のことをそれぞれA面、B面と呼ぶ。シングル盤として使われたEP盤では、タイトル曲をA面に記録することが多く、B面はその「おまけ」的な意味合いであることが多く見られた。現在でもその名残で、シングルCDの主要曲をA面、C/W(coupling with)をB面と呼ぶ人もいる。
CDの登場によって衰退したメディアだが、音の聴き心地がよい、レコードに針を落とすことが好きなどの理由から、現在でもレコードを愛用する人も多く、出荷量は少ないものの新製品も発売されている。また、ディスコやクラブのDJ(ディスクジョッキー)もパフォーマンスとして利用している。
なお、11月3日はレコードの日とされている。

近藤家には東エリのレコードが置いてあり、竹内多聞はその中の『私の彼の左手に肉球』のレコードを使って屍人を誘導した。
なお、『私の彼の左手に肉球』がレコードのA面であり、B面には『おとりの私』が収録されている。
関連『私の彼の左手に肉球』『おとりの私』東エリ
竹内多聞

レコード針(れこーど・ばり)
レコードを再生させるために必要な道具。レコードに刻まれた溝をトレースする交換針(スタイラス)自体のことをさす場合と、カートリッジと呼ばれるレコード表面の溝の振幅を、電気信号に変換する装置一式のことをさす場合がある。カートリッジは本体と交換針に分かれており、交換針は針先が消耗した時や折れた時などに、簡単に交換できるようになっている。
LP盤やEP盤などの交換針はダイアモンド、ルビー、サファイアなどの硬度の高い物質で作られており、SP盤のレコードには竹針や鉄針、バラの花の棘で作られたソーン針などが交換針として使われていた。
なお、3月9日はレコード針の日とされている。

竹内多聞は、旧宮田医院の院長室にあったレコードプレイヤーからレコード針をカートリッジごと取り外し、それを近藤家のレコードプレイヤーに取り付けてレコードを鳴らした。
関連竹内多聞レコード

レリーフ
天使のレリーフ

蝋燭(ろうそく)
綿糸やイグサ(灯心草)を芯とし、蝋などを型に流し込んで固めた灯具。芯の先に火をつけると、炎の熱で芯の周囲の蝋が融け、芯にしみ込み、それが気化して燃焼しすることで連続的に蝋が供給、燃焼し、一定の明るさで一定時間炎が燃え続ける。
安価で携帯性、保存性に優れており、電気機器による照明が普及する以前は、一般家庭の照明用にも使用されていた。電気の普及後も、停電時などのためにろうそくを用意することが多かったが、懐中電灯の普及とともに廃れていき、照明としては一般的に使われなくなった。
しかし蝋燭は、落ち着いて、くつろいだ雰囲気をつくるため、雰囲気を重視するレストランなどではテーブル用の照明として使われることあり、その他にも伝統行事における提灯や行灯の照明、誕生日のケーキの飾り、アロマセラピーの香具など様々な目的で用いられる。
蝋燭には和ろうそく(木ろうそく)と西洋ろうそく(キャンドル)に大別されるが、近年一般に流通している蝋燭は西洋ろうそくであり、和ろうそくは仏事もしくはSMプレイでしか用いられていないようである。しかし、和ろうそくは西洋ろうそくに比べて、炎がきれい、煙が立たない、煤(すす)が出ない、蝋が外側に流れないなどの特徴を持っており、「スローライフ」や「和」ブームを背景に、中高年や女性に静かな人気を呼んでいる。

学校の1・2年教室か3・4年教室にある掃除用具入れに四方田春海を隠しておくと、職員室で春海から蝋燭を手渡される。これを用いて高遠玲子は刈割の4つの灯篭に火をともし、木る伝を解放した。
関連高遠玲子四方田春海灯篭木る伝

ロープ
縄や綱のこと。物を縛ったり結びつけたりするだけでなく、登山や船舶、運送などで幅広く用いられている。
ロープの結び方は3000種類以上もあり、それを少し知っているだけでロープの用途が格段に増え、日常生活だけでなく仕事やアウトドアにおいても役立つことが多い。主な結び方としては「もやい結び」、「巻き結び」、「自在結び」などがある。

牧野慶(宮田司郎)は大字粗戸の井戸の中へ進入するために、牧野(本物)が石川家の物置で入手していたロープを使用した。
関連牧野慶宮田司郎

ロリコン
ロリータ・コンプレックスの略称で、成人女性より少女に対して性的関心を抱く男性の嗜好のこと。狭い意味では、対象を女児とする場合の小児性愛の意味でつかわれるが、広い意味としては、恋愛対象としては若すぎると考えられる年代の女性や、実年齢にかかわらず幼く見える女性に惹かれる心理をさすこともある。
ただ、成人女性より少女に対して性的関心を抱く性向や、そうした性的嗜好を持つ者を表す語としては「ペドフィリア(ペド。小児性愛、幼児性愛)」を用いるべきであり、ロリータ・コンプレックスの意味は「恋愛対象としては若すぎると考えられがちな年代の女性への恋愛感情、ないしそれを抱きがちであること(少女以外にも恋愛感情を抱くこともある場合も含む)」であるから区別すべきであるという意見もあるが、一般的には「ロリコン」という言葉でひとくくりにされている。
ロリコンの対義語的なものとして、成人男性よりも少年に対して性的関心を抱く性向である「ショタコン」があるが、そのような性向を持つ者は女性だけでなく男性である場合もあり、また男性器を持つ少女に対する性愛の意味でも用いられることがあるため、正確な対義語とは言えない。
「ロリータ」という言葉の語源は、中年の男性が年の離れた少女を愛するという、ウラジミール・ナボコフの小説、またそれを原作とするスタンリー・キューブリック監督の映画『ロリータ(Lolita)』であることに間違いない。ただし「ロリータ・コンプレックス」や「ロリコン」という言葉がいつから日本で使われるようになったのかは不明であり、諸説あるが、1980年前後に急速に広まったものとされている。
もともとロリータ・コンプレックスという言葉は、ラッセル・トレイナー著の『ロリータ・コンプレックス』から出てきた言葉とされているが、そこではロリータ・コンプレックスを、年長の男性を愛する少女の心理として、少女の無意識的な願望や衝動の複合ととらえ、その内実を父親固着コンプレックスや去勢願望によって説明している。つまり現在の意味でいう「ロリコン」とは少々違い、年長の男性を愛する少女の心理を説明する意味として捉えている。
それに対し、1970年代に幻想文学論や性愛論で知られた評論家・作家の澁澤龍彦は、『少女コレクション序説』のなかで、ロリコンというものは少女の心理を説明するものではなく、少女に執着する男の心理として論じるべきであると論じ、それがきっかけとなったのかは不明であるが、この頃から日本における「ロリコン」という言葉は少女に対する恋愛感情ないし性愛嗜好という意味で用いられることとなった。
1980年頃、『少女アリス』(発行5万部)に掲載されていた吾妻ひでおの漫画作品群が評判になり、これが「ロリコン漫画」とよばれ有名になる。それ以前にも1970年代に少女ヌード写真集が一般書店の店頭に少しずつ並ぶようになっていた。
こうして1980年頃から幼少女への性愛をあつかった表現が人気を集め、「ロリータ・コンプレックス」、「ロリコン」という言葉は急速に世に氾濫し一般化した。
また1980年前後から1984年までは「ロリコン・ブーム」とよばれ、多くの写真集・雑誌・特集本などが出版された。この時代のロリコン特集本はなお、ロリコンの名の下に写真から漫画、文章まですべてひっくるめて含んでいることが多いが、他方このブームのさなかにロリコンをめぐる表現は急速に分化し、商業誌のレベルでも嗜好の違いが明確になって棲み分ける現象が進んでいった。
だがこのようなロリコン文化に社会は徐々に抵抗を持ち始め、継続的に規制への圧力をかけ始める。まず最初に直接の規制をこうむったのは、一般紙のグラビアに載るほどメジャーになっていた写真分野(少女ヌード)であって、1985年には警察による無修正写真の禁止、1987年には雑誌『プチトマト』発禁事件、そして児童福祉法の強化による摘発などで弱体化していった。そして1988年末から1989年におきた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件によって、法的規制の正当性が主張されるようになり、それ以降は漫画・ゲームとも規制圧力と自主規制に公然とさらされるようになった。そして1999年に施行された児童ポルノ法によって、写真分野におけるロリコン表現は完全に規制されることとなる(なお「絵」に対する規制は、漫画関係者などからの厳しい批判から保留されている)。
上述の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件は、ロリコン表現に対する法的規制圧力、自主規制等に拍車をかけたが、ロリコン自体の社会的認識に別の位相ももたらした。この事件の結果として、児童への性犯罪が大きくクローズアップされ、被疑者が典型的な「ロリコン」と報道された上、同時に「オタク」という言葉をマスコミが再発見して世間にさまざまな否定的なイメージを振りまいた。そのため、ロリコンという言葉は「幼少女に対して現実に性的嗜好を抱く異常性愛者」という固定したイメージで広く知られるようになって現在に至っている。

名越栄治は「春海ちゃんの匂いがするよ〜」という台詞から、ロリコンであるとされている。
関連名越栄治「春海ちゃんの匂いがするよ〜」



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